2025年01月15日
ろっと出た瞬間に
わたしのブログ記事は辛口だ。
自虐傾向があるため、自分と同時に、自分に似たような人も斬ってしまう。
人間が持つ共通の心理だったりすると、他人が読んで自分のことをけなされているような気がして不快になることもあるだろう。
触れたくない、触れられたくない、こころの奥やヒダだったりすると尚更激光脫毛。
楽しいことや興奮するような嬉しいことは、共有したくて、元気になりたくて読まれるが、逆のマイナスは近寄りたくないのが自然。
それと、わたしは普通にさらりと思っていたり、していたりすることも反感を持たれたることがある(と思う)。
自虐ネタは、読む人は嘲笑なり優越感なりを感じて、こころの余裕を生むが、そうでないネタは、自慢だと感じられる。
自慢する人に悪い人はないという説もある。
だが、ニオイに過敏なわたしは、ニオう自慢は避けたい。
実力が伴う人がさらりと現状を述べるならオッケーだが、自分の力でもない人間が、無自覚で優位に立っている現状をべらべら話す(書く)のは、痛い。
わたしは、自然体で書きたいのに、どこかにニオう自分を感じる毛孔角化症。
自虐は逆自慢の現れか。
自意識過剰か。
二面性が顕著にあるため、一面のみの顔を表に出している。
が、裏の顔で悪事を働くわけではない。
健全な善良な一市民である。
にもかかわらず、、、
自分のもう一面と対峙するのは自分であり、人に相談したりしない。
同じような状況の人の話を参考にしたりするが、その方法を取り入れるか、取り入れないか、あくまでも、叩き台にするだけ。
自分の思いを吐露できない苦しさはある。
そして、わたしの嫌な面を深く知る人は、この世から去って欲しいと願う。
まるで、犯人が証拠隠滅を試みるように。
わたしには良い面もある(はず)。
ではあるが、取り立てて騒いで持ち上げて欲しいとは思わない。
かえって暑苦しい。
ただ、ほんのちょっとした、些細なことに遭遇して、知ったりすると、じわじわと喜びが広がる。
意外に単純である。
つい先日、遠い親戚で、ほとんどつながりも、会うこともない、長い長いスパンでの関わりの人の口から、不意にわたしの下の名前がぽろっと出た瞬間に、なんだかわからない嬉しさが込み上げた。
アラジンの魔法のランプから、もわっと巨人が出現したかのよう。
その親戚は、80歳ぐらいの女性なのだが、今までほんの数回しか不祝儀の会でお会いしたことがない。
季節品を送っていただいたお礼の電話をかけた時に、苗字を言うと即座にわたしの下の名前が出たことには驚きを感じた美白療程。
(長年、わたしは夫の名前で礼状を出していた)
よくよく考えるとわたしも、その人の下の名前を知っている。
親戚というのはそんなものか。
自虐傾向があるため、自分と同時に、自分に似たような人も斬ってしまう。
人間が持つ共通の心理だったりすると、他人が読んで自分のことをけなされているような気がして不快になることもあるだろう。
触れたくない、触れられたくない、こころの奥やヒダだったりすると尚更激光脫毛。
楽しいことや興奮するような嬉しいことは、共有したくて、元気になりたくて読まれるが、逆のマイナスは近寄りたくないのが自然。
それと、わたしは普通にさらりと思っていたり、していたりすることも反感を持たれたることがある(と思う)。
自虐ネタは、読む人は嘲笑なり優越感なりを感じて、こころの余裕を生むが、そうでないネタは、自慢だと感じられる。
自慢する人に悪い人はないという説もある。
だが、ニオイに過敏なわたしは、ニオう自慢は避けたい。
実力が伴う人がさらりと現状を述べるならオッケーだが、自分の力でもない人間が、無自覚で優位に立っている現状をべらべら話す(書く)のは、痛い。
わたしは、自然体で書きたいのに、どこかにニオう自分を感じる毛孔角化症。
自虐は逆自慢の現れか。
自意識過剰か。
二面性が顕著にあるため、一面のみの顔を表に出している。
が、裏の顔で悪事を働くわけではない。
健全な善良な一市民である。
にもかかわらず、、、
自分のもう一面と対峙するのは自分であり、人に相談したりしない。
同じような状況の人の話を参考にしたりするが、その方法を取り入れるか、取り入れないか、あくまでも、叩き台にするだけ。
自分の思いを吐露できない苦しさはある。
そして、わたしの嫌な面を深く知る人は、この世から去って欲しいと願う。
まるで、犯人が証拠隠滅を試みるように。
わたしには良い面もある(はず)。
ではあるが、取り立てて騒いで持ち上げて欲しいとは思わない。
かえって暑苦しい。
ただ、ほんのちょっとした、些細なことに遭遇して、知ったりすると、じわじわと喜びが広がる。
意外に単純である。
つい先日、遠い親戚で、ほとんどつながりも、会うこともない、長い長いスパンでの関わりの人の口から、不意にわたしの下の名前がぽろっと出た瞬間に、なんだかわからない嬉しさが込み上げた。
アラジンの魔法のランプから、もわっと巨人が出現したかのよう。
その親戚は、80歳ぐらいの女性なのだが、今までほんの数回しか不祝儀の会でお会いしたことがない。
季節品を送っていただいたお礼の電話をかけた時に、苗字を言うと即座にわたしの下の名前が出たことには驚きを感じた美白療程。
(長年、わたしは夫の名前で礼状を出していた)
よくよく考えるとわたしも、その人の下の名前を知っている。
親戚というのはそんなものか。
Posted by koputu at 13:23│Comments(0)